お万の方の駕籠がある乗安寺本堂改築完成!!
電気工事、空調(換気・エアコン)工事を弊社で施工させていただきました。
工事部の山本 平君が担当しました。
徳川家康の側室、お万の方が愛用された駕籠が、ここ日蓮宗 乗安寺に保管
されています。写真は新たに展示された「お万の方、愛用の駕籠と担ぎ棒」、
諸説ありますが、当方で調べた文献によりますと、
お万の方は天正3年(1575年)、上総勝浦城(千葉県勝浦市)の城主正木時忠の
五男頼忠を実父に、北条氏隆の娘である智光院を母に、小田原に生まれている。
その後すぐ、時忠が亡くなり、頼忠が後を継ぐため妻子を残し勝浦城に戻った。
智光院は伊豆河津郷に移り、北条家臣の河津城主の蔭山長門守氏広と再婚、お万
の方はこの養父蔭山氏広に育てられている。天正18年(1590年)豊臣秀吉の
小田原征伐により北条氏が滅び、その後慶長3年(1598年)父である氏広が死去、
この頃から深く仏門に帰依し、日蓮宗、身延山の上人を信ずるようになる。
その後徳川家康の側室となった。
慶長13年(1608年)常学院日経上人と他の宗派の宗教的論争について、幕府の無法な
裁きに身延山二十二世日遠上人が駿府の家康に訴えたが、家康は日遠上人も罪ありとして
安部川の川原で処刑を命じた。これを聞いたお万の方が必死に家康に命乞いをしたので、
家康は寸前のところで処刑を止めた。赦免後お万の方様は、途中襲われないよう日遠上人
を愛用の女性用の駕籠に乗せてひそかに河津に移して、しばらくの間かくまった・・・・・
といわれています。
改築については、乗安寺檀家の皆さまの長年の懸案でした。
5月10日には取り壊し前の、お祓いの儀式が行われました。
取り壊し、整地が済み6月16日には工事の安全祈願をし、起工式が行われました。
8月8日上棟式が工事関係者、檀家総代佐藤様以下役員出席の上、執り行われました。
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