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伊豆ならんだの里:歴史的仏像に学術調査団!

今回は久し振りに「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館について」

書き込みを致します。去る6月21日~23日の3日間、木彫像の仏像

群について、歴史的時代背景を含めて使用木材の特定や構造の詳細など

について調査が行われました。この調査には成城大の研究グループをは

じめ、東京国立博物館、森林総合研究所の研究グループが参加し、上原

仏教美術館の田島主任学芸員先生やスタッフ、地元の谷津区、河津町教

育委員会が協力しました。

◇6月25日伊豆新聞記事と、河津平安の仏教美術館

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南禅寺の仏像群の調査については昭和30年秋、名古屋近代美術館で日本

美術史展が開かれ、早稲田大学の菅原篤氏がたまたま出展されていた南禅

寺の本尊薬師如来に目をとめ、東洋美術研究室に属していましたが、若手

研究者の集会で、その見聞録が公表され、いろいろな専門分野の人達の間

に異常な関心が呼び起されることになった。と記録が残っています。

また初めての大きな調査が行われたのは、当時、下河津村村長稲葉時太郎

氏はじめ村三役の理解、村議会議長飯田利平氏及び副議長、教育委員長と

前記村役場三役、地元谷津区が尽力され、昭和31年4月に調査活動を開

始し昭和32年3月までの1年間です。調査員の延べ人数は287人、調

査団は明治大学教授、島田正郎氏を団長とし総数36名で組織されており

ました。

◇左は風土誌「河津」(調査の概要を記載)、右は調査団の構成(島田氏の記録から)

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今回6月の調査では、各仏像の寸法、特徴の記録、専門家による高精細な写

真撮影、木片のサンプル採取など慎重に行われました。

今後も数回に分けて仏像をすべて調べ、時代背景なども探っていきたいとの

成城大の岩佐教授のことばが伊豆新聞に掲載されておりました。私たちも当

時の時代背景が解明されるのを期待するものです。


本日の「伊豆ならんだの里」と、剣道「天心会道場跡地」の石碑

本日(28日)午後から、久し振りに「伊豆ならんだの里、河津平安

の仏像展示館」に行ってきました。第1駐車場に着くと、地元の方々

からおもてなしの心で、来訪者に「ミニトマトをどうぞ」と写真の通

り、暑い夏のお客様サービスです。

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ちょうど駐車場には「相模」、「横浜」の他県ナンバーのお客様も

お着きになりました。入口には無料で利用できる「つえ」もありま

す。徒歩で260mの坂ですが、展示館では平安時代の大変価値あ

る貴重な仏像群に出会えます。途中に休憩用のベンチもありますの

で、ゆっくり登ってください。

ならんだの里入口.jpgDSCF1490.jpg

3分の2ほど上ると、心地よい風が吹いてきました。振り返ると臨時

特急列車「踊り子」が走って行きました。

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「河津平安の仏像展示館」の同じ敷地内には、「南禅寺」という今年

2月まで地元の人達が守り、仏像群を収納してきたお堂があります。

まわりには写真の大きな楠のように、長い歴史を見届けてきた木々が

心を癒してくれます。

南禅寺.jpgDSCF1486.jpg

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本日新たに「石碑」を確認しました。「青少年育成武道センター 財団

法人 《天心会》発祥の地」、展示館を建築される数年前まで、この地

に旧下河津村役場の庁舎を移築した天心会の剣道武道場がありました。

河津町内の多くの剣道少年が、この武道場に通い巣立っていきました。

この武道場の開設者は、剣道範士/居合道範士『杉浦 新一先生』です。

杉浦先生は昭和32年、第12回静岡国体剣道一般団体の部において、

静岡県代表チームの大将として出場し、優勝に大きく貢献されました。

その結果、静岡県の天皇杯が確定したと聞いております。

この地に移られてからは、昭和39年2月に財団法人 天心会を設立

され、この道場に居を構え、青少年育成の為、河津町の子供たちに剣道

を通じて心身を捧げました。

天心会石碑.jpg天心会石碑1.jpg

天心会は杉浦先生の教えを受けたOBの社会人の方々がその「志」

を引き継ぎ、今も継続して町内の子供たちの指導にあたってくれて

おります。