昭和の河津町(吉永小百合さん、三国連太郎さん‥‥)
古いアルバムを整理中に昭和の時代の珍しい写真が出てきました。
昭和23年三国連太郎さんは弊社創業者の宮崎文雄と同じ伊豆の職場、
関東配電(株)〔後の東京電力㈱〕で働いておりました。仕事は現在の
東伊豆町白田川水力発電所から稲取温泉に送電線を敷設する仕事だった
と聞いております。写真は事業所前にて、二列目左から2番目が三国
さん、4番目が宮崎です。
昭和40年11月12日伊豆の踊り子の舞台となった河津町湯ケ野温泉、
「福田家旅館」の隣で『伊豆の踊り子文学碑』の除幕式が行われました。
式典にはノーベル賞作家の川端康成先生、女優の吉永小百合さんが参列
されました。
吉永小百合さんは昭和38年製作「伊豆の踊り子」の4度目の作品で
高橋英樹さんと共演されています。文学碑が除幕、初披露されました。
昭和29年には力道山の活躍によりプロレスが大人気でした。
弊社では店頭にテレビを設置しましたが、当時では各家庭にテレビが無かった
為、夜になると人気番組を見るために多くの人達が集まってきました。通称「
街頭テレビ」と言われていました。
この写真は伊豆急行線が昭和36年12月、伊東駅から伊豆急下田駅まで
開通しましたが、「第二の黒船」と騒がれた開通直後の『河津駅周辺』です。
駅後方の河津町立南小学校の近くが弊社です。
昭和53年1月13日には伊豆大島近海地震により、河津町内でも見高入谷
地区で地滑りにより7名、梨本地区を走行中のバスが崖崩れにより3名の尊
い命が失われました。
写真は弊社の被害状況です。
当時の弊社社員は東京電力を応援する為、被災地の救助の為の仮設電気、
停電した需要家様の絶縁調査、復旧の為の再送電、引込線断線の復旧工事、
改修工事等々、あるいは消防団活動による救助活動等、目まぐるしい時期
を過ごしたのを思い出します。写真は弊社店内と南小学校グランドを自衛
隊の臨時へリポートとして使用した状況です。